「なんで細胞が丸くなっちゃったんだろう?」
奏が顕微鏡を覗きながら首をかしげた。
「薬剤は何を加えた?」零が聞いた。
「コルヒチン…だったと思う」透真が答えた。
零が頷いた。「それだ。コルヒチンは微小管を分解する。細胞が形を失ったのは、骨格が壊れたから」
「骨格?細胞に骨があるんですか?」
「厳密には骨じゃないが、細胞骨格と呼ばれる構造がある。細胞の形を維持し、内部の物を運ぶレールにもなる」
透真が興味を示した。「どんな構造?」
「主に三種類。微小管、アクチンフィラメント、中間径フィラメント」
奏がノートに書いた。「それぞれ何が違うんですか?」
「微小管は太くて硬い。チューブリンというタンパク質が重合してできる。細胞分裂の時の紡錘体もこれだ」
「コルヒチンが壊したのは?」
「微小管。だから細胞が丸くなった。形を保てなくなった」
透真が顕微鏡を覗いた。「本当だ。みんな球形になってる」
零が続けた。「アクチンフィラメントはもっと細い。筋肉の収縮にも関わる。細胞の運動や、細胞膜の支持に重要」
「じゃあ、中間径フィラメントは?」
「その中間の太さ。機械的強度を提供する。細胞が引っ張られても耐えられるように」
奏が考えた。「三つで役割分担してるんですね」
「そう。微小管は道路、アクチンは筋肉、中間径フィラメントは補強材のようなもの」
透真が質問した。「でも、どうやって物を運ぶの?道路だけじゃ動かないでしょ」
「良い質問だ。モータータンパク質という分子機械がある」
「分子機械?」
「キネシンやダイニンという名前のタンパク質。ATPをエネルギー源にして、微小管の上を歩く」
奏が驚いた。「歩くんですか?」
「比喩だが、実際に足のような構造で一歩ずつ進む。小胞や細胞小器官を背負って運ぶ」
透真がアニメーションを探した。「これか!本当に歩いてる」
画面には、二本足で微小管を進むキネシンの姿。
「すごい…まるで人間みたい」奏が感心した。
零が補足した。「逆方向に歩くのがダイニン。微小管の極性を利用して、一方通行の輸送システムを作る」
「極性?」
「微小管には向きがある。プラス端とマイナス端。キネシンはプラス端へ、ダイニンはマイナス端へ進む」
透真が整理した。「つまり、細胞骨格は単なる支えじゃない。物流システムでもある」
「その通り。神経細胞では、細胞体から軸索の先端まで、数十センチも物質を運ぶこともある」
「数十センチ?細胞なのに?」
「神経細胞は特別に長い。細胞骨格がなければ、軸索の先端まで栄養が届かない」
奏が真剣になった。「じゃあ、細胞骨格が壊れたら?」
「細胞は形を失い、輸送も止まる。細胞分裂もできなくなる」
「さっきの実験みたいに」
「そう。抗がん剤の中には、微小管を標的にするものもある。がん細胞の分裂を止めるために」
透真が考えた。「でも、正常な細胞も影響を受けるんじゃ?」
「受ける。だから副作用がある。特に、分裂が盛んな細胞が影響を受けやすい」
奏がまとめた。「細胞骨格は、細胞の形、輸送、分裂、全てに関わる。やさしく支えるだけじゃなく、積極的に働いてる」
「正確な理解だ」零が認めた。
透真が言った。「細胞の中に、こんな複雑なシステムがあるなんて」
「見えないところで、分子たちが働いている。それが生命だ」
三人は再び顕微鏡を覗いた。丸くなった細胞たちが、少しずつ形を取り戻し始めていた。