「人って確率分布で表せるのかな?」
由紀がふと呟いた。図書館の隅で三人は勉強していた。
「どういう意味?」陸が顔を上げた。
「その人の行動パターン。確率的に予測できるかなって」
葵が興味を示した。「面白い問いだね」
「例えば」由紀が続けた。「陸くんが遅刻する確率とか」
「俺?」陸が驚いた。
「月曜は30パーセント、金曜は10パーセント」
「なんで金曜が少ないんだよ」
「週末が近いから、気分が良いんじゃない?」由紀が笑った。
葵がノートを開いた。「確率分布で人を捉えるのは、情報理論的に有意義だ」
「有意義?」
「期待値が計算できる。E(X) = Σ x・p(x)」
陸が首をひねった。「期待値って何の役に立つんですか?」
「平均的な行動を予測できる。例えば、陸が一週間で何回遅刻するか」
「週に1.5回くらい?」由紀が推測した。
「それが期待値だ。実際には1回か2回だけど、平均すると1.5回」
陸が反論した。「でも、俺は予測不可能だぞ」
「それが分散」葵が説明した。「期待値からのばらつき。Var(X) = E[(X-μ)²]」
「分散が大きいほど、予測しにくい」
「陸くんは高分散」由紀が納得した。
「それって褒めてないよね?」
葵が微笑んだ。「中立的な観測だよ」
「じゃあ、葵先輩は?」由紀が聞いた。
「僕は低分散かもしれない。規則正しいから」
「でも、それって退屈じゃないですか?」陸が言った。
「必ずしも。予測可能性は信頼につながる」
由紀が考えた。「信頼と予測可能性って関係あるんですね」
「ある。相手の行動が予測できると、安心する。分散が小さいと、信頼度が高い」
陸がふざけた。「じゃあ俺は信頼されてない?」
「違うよ」由紀が慌てた。「陸くんは期待値が高いの。たまに遅刻するけど、優しさの期待値は高い」
「優しさの期待値?」
「そう。困ってる人を助ける確率が高い。それが陸くんの特徴」
葵が頷いた。「人は複数の確率分布を持ってる。遅刻の分布、優しさの分布、集中力の分布」
「複雑だ」陸が唸った。
「だから面白い。単純な期待値だけでは測れない」
由紀がノートに書いた。「確率分布で人を見ると、多面的に理解できる」
「そう。そして分散も大事。ばらつきこそが個性だ」
陸が嬉しそうに言った。「俺の高分散も個性ってこと?」
「まあね」葵が認めた。
「でも」由紀が真剣に言った。「大事な時は低分散になってほしい」
「大事な時?」
「約束とか。試験とか。そういう時は予測可能でいてほしい」
陸が照れた。「わかった。TPOで分散を調整する」
葵が笑った。「適応的確率分布だね」
「人は固定じゃない。状況で変わる」
由紀が窓の外を見た。「友情って、お互いの確率分布を学ぶことかもしれない」
「良い洞察だ」葵が感心した。
「相手の期待値と分散を知る。そして受け入れる」
陸が続けた。「完璧に予測できなくても、大体分かれば良い」
「そう。不確実性を楽しむのも友情だ」
葵が静かに言った。「情報理論では、不確実性を敵とみなしがちだけど、人間関係では違う」
「違う?」
「適度な不確実性が、関係を豊かにする。完全に予測できたら、つまらない」
由紀が笑った。「陸くんの高分散も、意味があるってことですね」
「そういうこと」
三人は互いを見た。それぞれ異なる確率分布。でも、重なり合う部分がある。
「俺たちの友情は、どんな確率分布だろう?」陸が聞いた。
「高い期待値と、適度な分散」葵が答えた。
「完璧だ」由紀が微笑んだ。
確率の向こう側に、確かな絆がある。数式では表せない何かが、三人をつないでいた。