「切れない」
奏がタンパク質モデルを引っ張った。
「当然だ」零が言った。「ペプチド結合は強い」
「どれくらい?」
「単結合より強い。部分的に二重結合の性質を持つ」
ミリアが説明した。「共鳴構造があるから」
奏がノートに書いた。「共鳴?」
「電子が非局在化してる。カルボニル基の電子が、窒素と酸素の間で共有される」
零が図を描いた。「C-N結合は、単結合と二重結合の中間」
「中間?」
「結合次数が約1.3。回転できない」
奏が驚いた。「回転できない?」
「ペプチド結合は平面性を持つ。六つの原子が同じ平面上にある」
ミリアがモデルを見せた。「これが固い理由」
「平面だと固い?」
「回転の自由度が制限される。だからタンパク質の形が決まる」
零が続けた。「アミド結合とも呼ばれる。カルボニルとアミンが縮合した形」
「縮合?」
「水が取れて結合する。脱水縮合」
奏が質問した。「どうやってできる?」
「リボソームで。アミノ酸のカルボキシ基と、次のアミノ酸のアミノ基が反応する」
ミリアが補足した。「正確には、tRNAが活性化したアミノ酸を運んでくる」
「活性化?」
「アミノアシルtRNA。高エネルギー状態」
零が強調した。「ペプチド結合形成は、実はエネルギーが必要」
「必要?」
「GTPが加水分解される。その エネルギーで反応が進む」
奏が計算した。「一つの結合に、一つのGTP?」
「少なくとも。正確には、アミノ酸の活性化にATP、翻訳にGTPが複数必要」
「高コスト!」
ミリアが笑った。「タンパク質合成は、細胞で最もエネルギー消費が多いプロセスの一つ」
零が別の性質を説明した。「ペプチド結合には、シスとトランスがある」
「異性体?」
「そう。でも、ほとんどトランス型」
「なんで?」
「立体障害。シス型だと、側鎖が衝突する」
奏が理解した。「トランスの方が安定?」
「プロリンを除いて、ほぼ全てトランス」
ミリアが付け加えた。「プロリンは例外。環状構造だから」
「環状?」
「側鎖が主鎖の窒素に戻る。特殊な構造」
零が続けた。「だからプロリンは、タンパク質の折りたたみに影響する」
「どう影響する?」
「ベータターンを作ることが多い。方向転換のキンク」
奏がつぶやいた。「一つ一つの結合に、意味がある」
「ペプチド結合の配列が、一次構造」ミリアが言った。
「アミノ酸の順番?」
「そう。これが全ての情報を持つ」
零が強調した。「一次構造が決まれば、高次構造も決まる。アンフィンセンのドグマ」
「ドグマ?」
「タンパク質の形は、配列だけで決まるという原理」
奏が感動した。「ペプチド結合の並び方で、全てが決まる?」
「多くの場合、そうだ」ミリアが認めた。「もちろん、シャペロンなどの補助もあるけど」
零が付け加えた。「だから遺伝情報は、アミノ酸配列だけを指定すればいい」
「効率的!」
ミリアがモデルを見せた。「この平面的な結合が、何百、何千と連なる」
「それがタンパク質?」
「そう。固い約束の鎖」
奏がモデルを見つめた。「約束?」
零が静かに言った。「一度結ばれたら、簡単には切れない。安定で、強い」
「生命を支える結合」
「その通り」ミリアが微笑んだ。
奏が深呼吸した。「ペプチド結合、想像より深い」
「化学の基本だけど、生命の本質でもある」零が言った。
「固い約束」奏がつぶやいた。
三人は、モデルを見つめた。平面的な結合が、生命を繋ぐ。