「このノイズ、どうにかなりませんか?」
由紀が音声ファイルを再生した。雑音だらけで、何を言っているか聞き取れない。
葵が聞き入った。「ノイズキャンセルを試してみよう」
部室のパソコンで、フィルタリングソフトを起動する。
「どうやるんですか?」
「ノイズの周波数特性を分析して、それを除去する」
ミラが横から覗いた。無言で画面を見つめている。
葵がパラメータを調整した。高周波ノイズが消え、声が少しクリアになった。
「おお、聞こえやすくなった」由紀が驚いた。
「でも完璧じゃない」葵が指摘した。「まだ歪みがある」
「なぜ?」
「ノイズと信号の周波数が重なってるから。完全に分離できない」
ミラが小さくノートに書いた。「Signal and noise are not always separable」
「その通り」葵が頷いた。「特に、人の声のような複雑な信号では」
由紀が考えた。「じゃあ、どこまでがノイズで、どこまでが信号なんですか?」
「難しい問題だ。主観的な場合もある」
葵は別の例を出した。「音楽を聴いてる時、背景の雑談は?」
「ノイズです」
「でも、その雑談が大事な内容なら?」
「それは信号になる」由紀が理解した。
「つまり、文脈で変わる。ノイズの定義は絶対じゃない」
ミラが再び書いた。「Context determines meaning」
「人間のコミュニケーションも同じだ」葵が続けた。
「例えば、誰かが怒ってる時、その声のトーンは?」
「信号?それともノイズ?」
「両方。怒りの感情は信号だけど、言葉を聞き取りにくくする意味ではノイズでもある」
由紀がしみじみと言った。「感情って、ノイズキャンセルできないですね」
葵が微笑んだ。「それが人間らしさかもしれない」
「機械なら、感情をノイズとして除去するかも」
「でも、人は違う。感情こそが、コミュニケーションの核心だったりする」
ミラが珍しく声を出した。「Emotions are signal, not noise」
二人が驚いて振り返った。
「ミラさん?」
「Sometimes, what seems like noise... carries the most important information」
葵がゆっくり頷いた。「深い洞察だ」
「泣き声、ため息、間。これらは言葉じゃないけど、情報を伝える」
由紀が気づいた。「じゃあ、ノイズキャンセルしすぎると、大事な情報を失う?」
「そういうこと。フィルタリングは諸刃の剣だ」
葵が元の音声ファイルを再生した。雑音混じりだけど、話者の感情が伝わる。
「これをクリーンにしすぎると、冷たく聞こえる」
「本当だ」由紀が感じた。「ノイズにも意味があるんですね」
「アナログレコードのノイズが好きな人もいる。それが温かみだと」
ミラが付け加えた。「Perfect clarity is not always desirable」
「完璧なノイズ除去より、適度な不完全さ」
葵が説明した。「情報理論では効率を追求するけど、人間は非効率も愛する」
由紀が笑った。「矛盾してますね」
「矛盾こそが人間だ」
ミラが静かに言った。「My feelings... cannot be filtered」
「ミラさんの想い?」
「Complex. Noisy. But real」
葵がそっと言った。「誰の想いも、ノイズキャンセルできない」
「それでいいんだ」由紀が理解した。
「雑音混じりでも、本物の感情は届く」
三人は沈黙した。部屋の外から、風の音、足音、遠くの笑い声。
「この世界、ノイズだらけですね」由紀が呟いた。
「でも、そのノイズが世界を豊かにする」葵が答えた。
ミラが微笑んだ。稀有な表情だった。
「Noise is part of life」
「そして、私たちの想いも、ノイズキャンセルできない」
由紀が窓を開けた。外の雑音が流れ込む。でも、それが心地よかった。不完全な世界の、完璧な証明。