「先輩、これって答えが一つじゃないですよね?」
由紀は問題集を見つめていた。情報理論の練習問題だ。
「どれ?」葵が覗き込む。
「『あるメッセージの曖昧さを減らすには?』って問題です」
陸が笑った。「曖昧さを減らす?そんなの簡単だよ。情報を追加すればいい」
「それは正しい」葵が頷いた。「でも、どんな情報を追加すべきか。それが重要だ」
由紀が首を傾げる。「具体例はありますか?」
葵はホワイトボードに書いた。
「『明日は暑い』というメッセージ。これは曖昧だ」
「何度が暑いのか分からない」陸が指摘した。
「正解。では『明日は30度だ』なら?」
「曖昧さが減った!」由紀が言った。
「そう。具体的な数値を加えることで、不確実性が減少する。情報理論では、これをエントロピーの減少と呼ぶ」
陸が考えた。「じゃあ、『明日は30.5度だ』ならもっと良い?」
「必要な精度による。気温の話なら、小数点以下は誤差範囲かもしれない。過剰な精度は、ノイズを増やすだけだ」
由紀がノートに書き込む。「適切な情報量があるんですね」
「まさに。曖昧すぎても困るし、詳しすぎても困る。バランスが大切だ」
葵は別の例を出した。
「『友達に会った』と『アオイに会った』。どちらが情報量が多い?」
「アオイに会った、です」由紀が即答した。
「なぜ?」
「『友達』は曖昧。たくさんいる。でも『アオイ』は特定の一人を指す」
「正確。曖昧な表現ほど、エントロピーが高い。特定の表現ほど、エントロピーが低い」
陸が不思議そうに聞く。「でも、時々わざと曖昧に言うよね?」
「良い観察だ、陸」葵が感心した。「意図的な曖昧さは、柔軟性を生む。プライバシーを守ったり、選択肢を残したりするために使う」
由紀が思い出した。「前に習った条件付きエントロピーと関係ありますか?」
「関係ある。条件が分かれば、エントロピーは下がる。つまり曖昧さが減る」
葵は図を描いた。
「最初の状態:エントロピー高い(曖昧) 情報を追加:条件が明らかに 結果の状態:エントロピー低い(明確)」
「情報は曖昧さを減らす道具なんだ」由紀が理解する。
陸がふざけて言った。「俺の言動、いつも曖昧って言われるけど、高エントロピー人間ってこと?」
「その通り」葵が笑った。「陸の行動は予測不能だから、情報理論的には高エントロピーだ」
「褒められてる?」
「半分は」
由紀が再び問題集を見た。「じゃあ、この問題の答えは『目的に応じた適切な情報を追加する』ですね」
「完璧な答えだ」葵が認めた。「曖昧さとの戦いは、適切な情報の選択だ。全てを明確にする必要はない。必要な部分だけを明確にする」
陸がノートに書いた。「情報理論部の活動目標:適切な明確さを見つけること」
「良い目標だ」葵が微笑んだ。
由紀は窓の外を見た。夕日が沈みかけている。曖昧な境界線が、少しずつはっきりしていく。
情報理論を学ぶことは、世界の曖昧さと向き合うことだ。完璧な明確さはないけれど、必要な分だけ不確実性を減らせる。
それが、今日学んだことだった。