「最近、毎日が圧縮されてる気がする」
由紀が呟いた。
「圧縮?」葵が聞き返す。
「なんか、時間が早く過ぎて。気づいたら一週間とか」
陸が笑った。「わかる。あっという間に一日が終わる」
葵が考え込んだ。「面白い比喩だ。データ圧縮と似ているかもしれない」
「どういうこと?」由紀が興味を持った。
「データ圧縮には二種類ある」葵がノートを開いた。「可逆圧縮と非可逆圧縮」
「可逆?」
「元のデータを完璧に復元できる圧縮。ZIPファイルとか」
陸が聞いた。「非可逆は?」
「一部の情報を捨てる圧縮。JPEGとかMP3」
由紀が理解し始めた。「記憶も、そういうことかも」
「どういう意味?」
「大事な出来事は、詳細に覚えてる。これが可逆圧縮」
「でも、日常の細かいことは?」陸が続けた。
「忘れちゃう。非可逆圧縮」
葵が頷いた。「良い観察だ。人間の記憶は、自然に圧縮されている」
「でも、なぜ圧縮するんですか?」由紀が聞く。
「容量の限界。脳の記憶容量は有限だから」
「だから、重要じゃないものを捨てる」
「そう。非可逆圧縮は、重要度を判断する」
陸が考えた。「じゃあ、何が重要かって、どう決まるの?」
「それが難しい問題」葵が認めた。「MP3は、人間が聞こえにくい周波数を削る」
「感覚的に重要じゃないもの」
「人生も同じかもしれない」由紀が言った。「感情的に重要じゃない記憶は、消える」
葵が深く頷いた。「だから、同じ一日でも、人によって記憶が違う」
「圧縮の基準が違う」
「まさに」
陸が新しい視点を持った。「でも、圧縮しすぎたらどうなる?」
「画質が落ちる。音質が悪くなる」葵が答えた。
「人生も?」
「記憶が薄くなる。詳細が失われる」
由紀が静かに言った。「だから、大事なことは、圧縮しないで残したい」
「可逆圧縮で」陸が付け加えた。
「でも、全部を可逆で残すのは無理だ」葵が現実的に言った。
「じゃあ、どうすれば?」
「選択。本当に大事なものを、意識的に記憶する」
由紀がノートに書いた。「記憶 = 選択的圧縮」
「良い表現だ」葵が認めた。
陸が考え込んだ。「俺、もっと圧縮率下げたいな」
「どういう意味?」
「毎日をもっと濃く覚えていたい。細かいことも」
葵が微笑んだ。「それには、エントロピーを上げるといい」
「エントロピー?」
「新しい経験、予測できない出来事。これらは圧縮しにくい」
由紀が理解した。「同じ毎日だと、圧縮されやすい」
「そう。パターンがあるから。予測符号化できる」
「でも、新しいことをすると?」
「圧縮できない。だから、記憶に残る」
陸が立ち上がった。「じゃあ、今から何か新しいことしよう」
「急だな」由紀が笑った。
「データ圧縮のような毎日から、抜け出すために」
葵が頷いた。「良い考えだ。情報理論的にも正しい」
三人は部室を出た。新しい経験を求めて。圧縮されない記憶を作るために。
毎日は圧縮される。でも、圧縮の仕方は選べる。大事なものを残し、新しいものを取り入れる。それが、データ圧縮のような毎日を生きる知恵だ。