「光を当てると、電子が跳ぶ?」
奏が信じられない表情で聞いた。
零が頷いた。「量子力学的には、電子がエネルギー準位を遷移する」
「難しい…」
ミリアが優しく説明した。「電子には、居場所がある。基底状態と励起状態」
「基底状態は、普段の場所?」
「そう。最も低いエネルギー状態。でも、光を吸収すると、高いエネルギー準位に跳び上がる」
零が図を描いた。「階段を上るように。これが励起」
「跳んだ後は?」
「いずれ落ちてくる。その時、エネルギーを放出する」
奏が考えた。「光として?」
「時々は。それが蛍光だ」ミリアが微笑んだ。
「でも」零が続けた。「生命は、その落ちるエネルギーを、別の形で使う」
「別の形?」
「化学エネルギー。光合成では、励起された電子が、電子伝達鎖を通る」
ミリアが葉を取り出した。「この中で、毎秒何億回も、電子がジャンプしてる」
奏が葉を見つめた。「見えないけど…」
「見えない。でも、確実に起きてる」零が説明を続けた。「クロロフィルが光を吸収して、電子が励起される」
「クロロフィル?」
「緑色の色素。マグネシウムを中心に持つ複雑な分子」
ミリアが補足した。「励起された電子は、クロロフィルから飛び出して、次の分子へ移動する」
「飛び出す?」
「そう。まるでバケツリレー。電子が、複数のタンパク質を渡り歩く」
零がホワイトボードに描いた。「P680 → フェオフィチン → プラストキノン…」
「複雑な名前ばかり」奏が苦笑した。
「でも、原理は単純」ミリアが言った。「エネルギーが高い状態から低い状態へ、段階的に落ちていく」
「なんで段階的?」
零が答えた。「一気に落ちると、熱になって無駄になる。小刻みに落とせば、化学仕事に変換できる」
「効率的だ」
「そう。光合成の効率は、驚くほど高い」
奏が質問した。「で、最終的にどうなるの?」
ミリアが説明した。「電子は水から補充される。水が分解されて、酸素が発生する」
「酸素!」
「そう。私たちが呼吸する酸素は、全て光合成由来」
零が続けた。「そして、電子が伝達鎖を通る過程で、プロトン勾配が作られる」
「また勾配」奏が言った。
「そう。その勾配でATPが合成される。ミトコンドリアと同じ原理」
ミリアが付け加えた。「光エネルギー → 電子励起 → 化学エネルギー。変換の連鎖」
奏が感心した。「太陽光が、ATPになる」
「まさに。地球上のほぼ全てのエネルギーは、元は太陽光」
零が静かに言った。「生命は、電子のジャンプを利用する天才だ」
「ジャンプ台って、適切な比喩だね」奏が微笑んだ。
ミリアが葉を光にかざした。「この透き通った緑の中で、量子の舞踏会が開かれてる」
「詩的」
「でも、事実だ」零が言った。「励起状態は、量子力学の領域。電子は波でもあり粒子でもある」
奏が頭を抱えた。「また難しくなってきた」
「大丈夫」ミリアが慰めた。「重要なのは、光がエネルギーを運び、電子がそれを受け取ること」
「そして、そのエネルギーで生命が動く」
零が頷いた。「光合成がなければ、地球は死の星」
「電子のジャンプに、感謝しないと」奏が真剣に言った。
「毎日、感謝してる」ミリアが微笑んだ。「食べ物も、酸素も、全て光合成の賜物」
三人は、窓の外の緑を見つめた。見えない電子が、今も跳び続けている。生命のために。