「意味なんて、ないんじゃないか」
サイモンが突然言った。いつもの彼らしくない、暗い声だった。
「どうしたの?」晴が心配そうに聞く。
「祖父が亡くなった。長い人生だった。でも、最後に何が残ったんだろう」
蓮が静かに言った。「実存主義の根本問題だ」
「実存主義?」
「カミュ、サルトル、ニーチェ。人生に本質的な意味はない、という前提から始まる」
サイモンが顔を上げた。「じゃあ、無意味?」
「無意味、というより、予め用意された意味はない」晴が補足した。
「違いは?」
「意味は与えられるものじゃなく、作るもの」
蓮が説明を加えた。「神が意味を与えるという前提が崩れた後、人間は自分で意味を創造しなければならない」
「ニーチェの『神は死んだ』」サイモンが呟いた。
「そう。それは解放でもあり、重荷でもある」
美緒が静かに入ってきて、サイモンの隣に座った。何も言わないが、存在が温かい。
「でも」サイモンが続けた。「意味を作るって、自己欺瞞じゃないのか?本当は無意味なのに、無理やり意味があるふりをする」
晴が考えた。「意味と無意味、どっちが『本当』なの?」
「無意味が本当で、意味は幻想?」
「なぜそう思う?」蓮が問うた。
「宇宙的な視点で見れば、人間の営みなんて塵みたいなものだ」
「スケールの問題だ」蓮が指摘した。「宇宙的スケールでは確かに塵かもしれない。でも、人間的スケールでは重要だ」
「どちらが正しい視点?」
「どちらも正しい。問題は、どちらを採用するか」
晴が静かに言った。「宇宙の視点で生きることはできない。私たちは人間として生きるしかない」
「じゃあ、人間的な意味は有効?」
「有効、というより、それしかない」
美緒がノートに書いた。「意味は関係性」
サイモンが読んだ。「関係性?」
美緒は頷き、また書いた。「人と人、人と世界」
蓮が理解した。「意味は孤立した個人には存在しない。他者や環境との関わりの中で生まれる」
「祖父の人生の意味は?」サイモンが聞いた。
「君との関係の中にある」晴が答えた。
「でも、祖父はもういない」
「記憶と影響は残る」
蓮が付け加えた。「マルティン・ブーバーの『我と汝』。関係性が本質的な実在だ」
「関係性が残れば、意味も残る?」
「そう言える」
サイモンが深く息を吐いた。「でも、いつか忘れられる」
「忘れられても、因果の連鎖は続く」晴が言った。「祖父が君に与えた影響は、君を通じて世界に広がる」
「波紋のように?」
「そう。直接的な記憶が消えても、間接的な影響は続く」
美緒が立ち上がり、窓を開けた。風が入る。
「今の風も、どこかから来て、どこかへ行く」蓮が言った。「始まりと終わりがあるけど、繋がっている」
サイモンが静かに尋ねた。「じゃあ、人生に意味は必要なのか?」
「必要、という言葉が難しい」晴が答えた。「生物学的には必要ない。でも、人間として生きるなら、避けられない」
「避けられない?」
「人間は意味を求める生き物だから」蓮が説明した。「フランクルの言葉。『人間は意味への意志を持つ』」
「意味を求めずにはいられない?」
「そう。それが人間の条件」
美緒がサイモンに小さな紙を渡した。一輪の花が押してある。
「これは?」サイモンが聞く。
美緒は答えず、微笑んだ。
晴が説明した。「美緒なりの答えかも。花に意味はないけど、美しい」
「意味と美は別?」
「別かもしれない。でも、どちらも価値がある」
蓮が整理した。「人生に意味は必要か。答えは『必要』ではなく『人間は意味を求める』だ」
「逃れられない問い」
「そう。だから、答えは一つじゃない」
サイモンが押し花を見つめた。「祖父の人生に意味があったかどうか、俺が決める?」
「君が見出す」晴が修正した。「決めるというより、発見する」
「発見?」
「既にそこにある繋がりを、認識すること」
美緒が静かに立ち上がり、サイモンの肩に手を置いた。ほんの一瞬だけ。そして去っていった。
「美緒も、答えを示した」蓮が言った。
「触れること?」
「存在すること。関わること。それ自体が意味の創造だ」
サイモンが深呼吸した。「人生に意味は必要ない。でも、人間は意味を生きる」
「矛盾してるけど、それが答え」晴が微笑んだ。
「祖父の意味は、俺の中で生き続ける」
「そして、君を通じて、さらに広がる」
サイモンが押し花を大切にしまった。「意味は、問い続けることの中にある」
「哲学的だ」蓮が認めた。
「問いが、生きることだから」
三人は静かに座っていた。意味は目の前にあり、また遠くにあった。