「日本語では、これが言えない」
サイモンの言葉に、晴が驚いた。「え?」
「概念がない。だから、言葉もない」
蓮が興味を示した。「例えば?」
「ドイツ語の『Schadenfreude』。他人の不幸を喜ぶ気持ち」
晴が考えた。「それ、日本語にもあるよね?気持ちとしては」
「あるが、一語では言えない」サイモンが説明した。
蓮が補足した。「言語が思考を制約するという、サピア=ウォーフ仮説だ」
「思考を制約?」
「言葉がなければ、概念を明確に思考できない」
晴が反論した。「でも、感じることはできる」
「感じることと、思考することは違う」サイモンが言った。
蓮が詳しく説明した。「曖昧な感覚は持てる。でも、精緻な思考には言語が必要だ」
晴が聞いた。「じゃあ、言語は思考の道具?」
「道具であり」サイモンが言った。「檻でもある」
「檻?」
「言語の枠を超えて考えることは、困難だ」
蓮が例を挙げた。「色の認識。言語によって、色の区分が違う」
「え?」
「ある言語では、青と緑が同じ語。別の言語では、二つの青がある」
晴が驚いた。「言語が、見え方を変える?」
「完全には証明されていないが」蓮が言った。「影響はある」
サイモンが別の例を出した。「時制。日本語は、時制が曖昧だ」
「曖昧?」
「『食べる』は現在か未来か、文脈次第」
蓮が補足した。「英語は『eat』と『will eat』を明確に区別する」
晴が聞いた。「それが何を変える?」
「時間の捉え方」サイモンが答えた。「言語が、時間認識に影響する可能性がある」
晴が考え込んだ。「じゃあ、言語は私たちを縛ってる?」
「ある意味で」蓮が認めた。「でも、解放もする」
「解放?」
「言語は、抽象的思考を可能にする」
サイモンが例を挙げた。「『正義』という概念。言語なしでは、漠然としている」
「言語があるから、議論できる」蓮が付け加えた。
晴が理解した。「言語は、思考を明晰にする」
「そう。だから、縛りであり、解放でもある」
サイモンが別の視点を示した。「ウィトゲンシュタインは『言語の限界が、世界の限界だ』と言った」
「世界の限界?」
蓮が説明した。「言語化できないものは、認識できない」
晴が反論した。「でも、言葉にできない感動ってある」
「ある」サイモンが認めた。「でも、それを思考することは難しい」
「思考と感覚は別?」
「別だ」蓮が答えた。「感覚は直接的。思考は言語的」
晴が聞いた。「じゃあ、言語のない思考はない?」
「完全にはない」蓮が慎重に答えた。「でも、非言語的思考もある」
「非言語的?」
「イメージ、音楽、身体感覚。これらは言語を経由しない」
サイモンが付け加えた。「でも、それを他者と共有するには、言語が必要だ」
晴が理解した。「言語は、コミュニケーションの道具」
「そう。だから、言語は社会的だ」
蓮が別の問題を提起した。「言語は、権力でもある」
「権力?」
「言語を支配する者が、思考を支配する」
サイモンが例を挙げた。「『テロリスト』と『自由の戦士』。同じ人を指すが、言葉が印象を変える」
晴が驚いた。「言葉の選択が、認識を操作する?」
「そう。だから、言語は政治的だ」
蓮が付け加えた。「『差別語』の問題も、言語と権力の関係だ」
晴が考え込んだ。「じゃあ、言語を疑うことが大事?」
「大事だ」サイモンが答えた。「言語は透明じゃない」
「透明じゃない?」
「言語自体が、バイアスを持つ」
蓮が説明した。「中立な言語はない。すべての言語は、文化的背景を持つ」
晴が聞いた。「じゃあ、どうすれば?」
「多言語を学ぶ」サイモンが答えた。
「なぜ?」
「異なる言語は、異なる視点を与える。一つの言語に縛られない」
蓮が補足した。「言語を複数知ることで、言語の相対性が見える」
晴が納得した。「言語は、窓なんですね」
「良い比喩だ」サイモンが認めた。「一つの窓は、一つの景色。多数の窓は、多数の景色」
蓮が付け加えた。「でも、窓の外には、言語を超えた現実がある」
「言語を超えた?」
「言葉にできない何か。でも、それに近づくには、言語が必要だ」
晴が混乱した。「矛盾してない?」
「矛盾している」サイモンが認めた。「でも、それが言語の本質だ」
蓮が静かに言った。「言語は、不完全な道具だ」
「でも、最良の道具でもある」
晴が聞いた。「じゃあ、言語とどう付き合えば?」
サイモンが答えた。「使いこなす。でも、頼りすぎない」
「頼りすぎない?」
「言語の限界を知る。言語で言えないことがあると、認める」
蓮が付け加えた。「そして、沈黙の価値も知る」
「沈黙?」
「言葉にできないことは、沈黙する。それも一つの表現だ」
晴が微笑んだ。「言語は、縛りでも解放でもある」
「まさに」サイモンが頷いた。「使い方次第だ」
三人は沈黙した。言語の限界を知り、可能性を信じる。その両立が、言語との健全な関係だった。