「このDNA配列、人間と同じ部分がある」
ミリアがタブレットを指差した。
「人間と?何と比べてるの?」奏が覗き込む。
「酵母。パンを作る菌」
「えっ、菌と人間が?」
零が説明に入った。「生命は共通の祖先から進化した。だから、基本的な遺伝子は似ている」
奏がタブレットをスクロールした。「本当だ…配列が一致してる部分がたくさん」
「細胞周期を制御する遺伝子。酵母も人間も、細胞分裂の仕組みは驚くほど似てる」
ミリアが続けた。「だから酵母で実験できる。人間の病気を理解するために」
「でも、なんで似てるの?」奏が根本的な疑問を投げた。
「30億年前、共通の祖先がいた」零が答えた。「そこから、生命の樹が枝分かれした」
「30億年…」
「その記憶が、DNAに刻まれてる」ミリアが静かに言った。
零がホワイトボードに図を描いた。「配列の類似度から、分岐時期を推定できる」
「どうやって?」
「分子時計。変異が一定の速度で蓄積すると仮定する」
奏が計算しようとした。「変異が多いほど、分岐が古い?」
「基本的にはそう。ただし、進化速度は遺伝子によって違う」
ミリアが別の例を示した。「ミトコンドリアのDNA。母親からだけ受け継がれる」
「父親からは?」
「受け継がれない。だから、母系の系譜を追跡できる」
零が補足した。「ミトコンドリア・イブ。現生人類の共通の母系祖先」
「いつ頃の人?」奏が興味深そうに聞く。
「約20万年前。アフリカにいたとされる」
「そんなに昔の人が、今もDNAに…」
ミリアが頷いた。「全ての人のミトコンドリアDNAは、彼女に辿り着く」
奏がノートに書いた。「DNAは歴史書なんだ」
「そう。進化の記録」零が認めた。
「じゃあ、もっと古い記憶は?」奏が尋ねる。
ミリアがタブレットを操作した。「リボソームRNA。最も保存された配列の一つ」
「保存された?」
「変わりにくい。生命に必須だから」
零が説明した。「細菌から人間まで、リボソームの基本構造は同じ。40億年前から変わっていない」
「40億年…地球が生まれた頃?」
「ほぼそう。生命の誕生直後から」
奏が感動した。「私の細胞の中に、40億年前の記憶が生きてる」
「正確には、機能が生きてる」零が補正した。「配列は少しずつ変わってきたけど、役割は同じ」
ミリアが続けた。「ヘモグロビンも面白い。脊椎動物に共通」
「血液のやつ?」
「酸素を運ぶタンパク質。魚も鳥も哺乳類も、基本構造は同じ」
零がグラフを描いた。「でも、配列は少しずつ違う。その違いから、進化の道筋が見える」
「人間とチンパンジーは?」奏が聞いた。
「98.8パーセント一致。600万年前に分岐した」
「たった1.2パーセントの違いで、こんなに違う?」
ミリアが微笑んだ。「その1.2パーセントが、言語や文化を生んだ」
奏が真剣になった。「じゃあ、DNAを比べれば、誰とでも繋がりが分かる?」
「理論的には」零が答えた。「実際、家系図を再構築するプロジェクトもある」
「すごい…」
ミリアがタブレットを閉じた。「でも、覚えておいて。DNAは物語の一部」
「一部?」
「環境、文化、選択…それらも進化を形作る」
零が頷いた。「DNAは台本。でも、演じ方は時代と場所で変わる」
奏がDNAの二重らせん模型を見つめた。「古い物語が、新しい物語を紡ぐ」
「美しい言い方」ミリアが認めた。
「DNAは過去だけじゃない」零が最後に言った。「未来も書き込まれていく」
窓の外で、夕日が沈む。40億年の記憶を抱いて、生命は明日へ向かう。