「これが、私の設計図?」
奏がDNA模型を見つめた。
ミリアが頷いた。「すべての細胞に入ってる。あなたを作るための情報」
「でも、情報って何を?」
零が答えた。「タンパク質の作り方。それが遺伝情報の本質だ」
奏がらせんを指でなぞった。「この形に、意味があるの?」
「二重らせん。ワトソンとクリックが見つけた構造」ミリアが説明した。
「なんで二重なの?」
「相補的な対だから。AとT、GとC。一方が決まれば、もう一方も決まる」
零が補足した。「これが複製を可能にする。らせんをほどけば、二本の鋳型ができる」
奏がノートに書いた。「A-T、G-C」
「水素結合でつながってる。AとTは二本、GとCは三本」
「なんで数が違うの?」
「化学構造の制約。でも、この違いが安定性に影響する」
ミリアがタブレットを見せた。「DNAの配列は、四文字のアルファベット。A、T、G、C」
「たった四文字?」奏が驚いた。
「でも組み合わせは無限。人間のDNAは30億文字以上」
零が続けた。「その配列が、アミノ酸の順番を指定する。三文字で一つのアミノ酸」
「三文字?」
「コドンと呼ばれる。たとえば、ATGはメチオニン」
奏が計算した。「四文字の三つ組だと、4×4×4で64通り?」
「正確。でもアミノ酸は20種類だから、複数のコドンが同じアミノ酸を指定することもある」
ミリアが図を描いた。「DNAからRNA、RNAからタンパク質。セントラルドグマと呼ばれる」
「ドグマ?」
「教義。生命情報の流れの基本原理」
零が説明した。「まず転写。DNAの情報がRNAにコピーされる」
「コピー?」
「正確には、DNAの一部分だけ。必要な遺伝子だけがコピーされる」
奏が質問した。「RNAって、DNAと違うの?」
「構造がちょっと違う。リボースという糖と、Tの代わりにU」ミリアが答えた。
「U?」
「ウラシル。機能は同じようなもの」
零が続けた。「そのRNA、メッセンジャーRNAが、リボソームへ行く」
「リボソーム?」
「タンパク質合成工場。ここで翻訳が起きる」
ミリアが模型を組み立てた。「RNAの配列を読んで、アミノ酸を並べる」
「どうやって?」
「トランスファーRNA。tRNAが、各アミノ酸を運んでくる」
零が図を描いた。「tRNAはアンチコドンを持つ。コドンと相補的な配列」
「パズルみたい」奏が言った。
「そう。分子の認識は、形の相補性に基づく」
ミリアが続けた。「一つずつアミノ酸がつながって、ポリペプチド鎖ができる」
「それがタンパク質?」
「折りたたまれて、機能を持つタンパク質になる」
奏がDNA模型を見直した。「じゃあ、この中に、すべてのタンパク質の情報が?」
「だけじゃない。いつ作るか、どれくらい作るかの制御情報も」零が言った。
「制御?」
「プロモーター、エンハンサー、サイレンサー…遺伝子発現を調整する領域」
ミリアが付け加えた。「同じDNAを持つ細胞が、心臓や脳や肝臓になれるのは、この制御のおかげ」
奏が感動した。「同じ楽譜を、違う楽器で演奏する?」
「美しい比喩」零が認めた。
「エピジェネティクスもある」ミリアが続けた。「DNA配列を変えずに、遺伝子の読み方を変える」
「どうやって?」
「メチル化、ヒストン修飾…化学的なマーク」
零が整理した。「DNAは静的な設計図じゃない。動的な、編集可能なレシピ」
奏がつぶやいた。「私を作るレシピ」
「そして、親から受け継いだ記憶」ミリアが静かに言った。
「記憶?」
「進化の記憶。何億年もの試行錯誤が、この配列に刻まれてる」
奏が模型を抱きしめた。「重い…」
零とミリアが微笑んだ。
「生命の重さだ」零が言った。
三人は沈黙した。四文字のアルファベットが、生命を綴る。