「俺、何もできない人間なんだ」
海斗が床を見つめて言った。
「何があった?」レオが聞く。
「部活で、全部うまくいかなくて。先輩にも怒られて」
ミラが静かに隣に座った。
「全部?」レオが確認する。
「パスも失敗、シュートも外した。全部ダメだった」
「今日一日で、全て?」
「そう…いや、違う。でも、そんな気がする」
レオがノートに書いた。「Cognitive distortion: All-or-nothing thinking」
「認知の歪み?」
「物事を、完璧か完全な失敗か、の二つに分ける思考パターンだ」
海斗が反論した。「でも、本当にダメだったんだ」
「いくつか失敗した、とダメ人間、は違う」レオが指摘した。
ミラがスマートフォンを見せた。画面には、海斗が以前成功したプレイの動画があった。
「これ…」海斗が驚く。
「過去の成功は、消えない」レオが言った。「でも、今は見えなくなってる」
「なぜ?」
「自己愛的損傷を受けてるからだ」
「自己愛的損傷?」
「自分に対する肯定的なイメージが、急激に崩れる心理的ダメージだ」
海斗が苦しそうに言った。「まさに、今の俺だ」
「そして、それは一時的なものだ」レオが強調した。
「一時的?こんなに苦しいのに?」
「苦しいのは、自己イメージと現実のギャップが大きいから」
ミラがノートに書いた。「Ideal self ≠ Real self = Suffering」
「理想の自分と、現実の自分の差が苦しみ」海斗が読んだ。
「そう。そして、多くの人は理想を高く設定しすぎてる」レオが説明した。
「理想が高いのは、悪いこと?」
「悪くない。でも、現実的でない理想は、自分を傷つける」
海斗が聞いた。「どうすれば、回復できる?」
「まず、自己愛と自己評価を分ける」
「違うもの?」
「自己愛は、自分への愛着。自己評価は、自分の能力や価値の評価。混同すると危険だ」
ミラが図を描いた。自己愛と自己評価、二つの円。
「自己評価が下がっても、自己愛は保たれるべきだ」レオが説明した。
「どうやって?」
「無条件の自己受容だ。『できるから愛する』じゃなく、『存在するから愛する』」
海斗が戸惑った。「できない自分も、愛する?」
「そう。それが、健全な自己愛の基盤だ」
ミラが頷いた。そして、自分の手のひらに字を書いた。「You are enough」
海斗が涙ぐんだ。「十分…なのかな」
「十分だ」レオが断言した。「完璧でなくても、十分だ」
「でも、周りは…」
「他者の評価と、自己価値を結びつけない練習が必要だ」
海斗が聞いた。「どうやって?」
「セルフコンパッションという概念がある」レオが説明した。
「セルフコンパッション?」
「自分への思いやり。失敗したとき、自分を責めるのではなく、慰める」
「自分を慰める…」
「友人が失敗したら、何て言う?」
「『大丈夫、次がある』とか…」
「なぜ、自分には言わない?」
海斗が沈黙した。
ミラがノートに書いた。「Treat yourself as you would treat a friend」
「友人に対するように、自分に対する」海斗が読んだ。
「それが、セルフコンパッションだ」レオが頷いた。
海斗が深呼吸した。「俺、自分に厳しすぎたかも」
「厳しさは、時に必要。でも、慈しみも必要だ」
「バランス…」
「そう。成長のためには、自己批判と自己受容のバランスが大事だ」
ミラが立ち上がり、海斗の肩に手を置いた。優しい圧力。
「ミラも、同じ経験があるんだ」レオが言った。
ミラが頷いた。
「みんな、壊れる瞬間がある」レオが続けた。「でも、壊れたところから、新しい自分が始まる」
海斗が微かに笑った。「新しい自分…か」
「完璧じゃない、でも十分な自分だ」
三人は、自己愛の再構築という旅路の入り口に立っていた。
壊れることは、終わりじゃない。新しい始まりだ。