「葵先輩の説明、めっちゃわかりやすいですよね」
由紀が感心して言った。
「ありがとう。でも、なぜわかりやすいと思う?」
「うーん、例が具体的だからかな」
陸が割り込んだ。「俺の説明は、いつもわかりにくいって言われる」
「陸は、前提を飛ばすからだ」葵が指摘した。
「前提?」
「会話には、送信者と受信者の共通知識が必要。それがないと、メッセージが正しく伝わらない」
由紀がノートに書いた。「共通知識=文脈?」
「そう。情報理論的には、文脈が冗長性を提供する」
「また冗長性」陸が笑った。「無駄って意味じゃないんだよな」
「通信では、冗長性がノイズ対策になる」
葵が例を出した。「『明日、』で文が切れたとする。何が来ると思う?」
「『雨』とか『テスト』とか?」由紀が答えた。
「正解。文脈から、次の語を予測できる。これが冗長性だ」
「でも、それって効率悪くない?」陸が聞く。
「完璧な通信路ならね。でも現実は、ノイズまみれだ」
葵はホワイトボードに図を描いた。
「カフェで会話するとする。周りがうるさい。音の一部が聞こえなくても、文脈で補完できる」
「『き■うは■しい■す』って聞こえても、『今日は楽しいです』だと分かる」陸が言った。
「そう。それは、言語の統計的性質と文法が、誤り訂正符号として機能してるから」
由紀が驚いた。「人間の会話も、誤り訂正してるんですね」
「常にやってる。パーティー効果って知ってる?騒がしい場所でも、自分の名前は聞き取れる」
「聞いたことあります」
「脳が、重要な情報を選別してる。信号対雑音比が低くても、文脈で補強する」
陸が考えた。「じゃあ、俺の説明がわかりにくいのは、冗長性が足りないから?」
「そうかもしれない。前提を共有せず、いきなり結論を言う」
「直接的すぎるんだな」
葵が補足する。「直接的な通信は効率的だけど、脆弱。ノイズに弱い」
由紀が実例を出した。「『それ取って』だけだと、何を取ればいいか分からない」
「でも、『テーブルの上の赤いペン取って』なら明確」
「冗長だけど、確実」
「そう。ロバスト性とのトレードオフだ」
陸が真剣に聞いた。「どうすれば、わかりやすく話せるようになる?」
「まず、相手の知識レベルを推定する。次に、適度な冗長性を加える」
「具体例を出す、言い換える、確認を取る」由紀が列挙した。
「完璧。それが人間の誤り検出・訂正メカニズムだ」
葵がホワイトボードに書いた。
「効率←――最適点――→ロバスト性」
「状況に応じて、バランスを調整する」
「仲間内の会話は効率重視。初対面は冗長性重視」陸が理解した。
「そう。通信プロトコルと同じだ」
由紀がふと思った。「メールや文章は、口頭より冗長になりがちですよね」
「非同期通信だから。確認が取れないぶん、誤解を防ぐために冗長性を増やす」
「チャットの『了解です!』『わかりました!ありがとうございます!』みたいな」陸が例を出した。
「それも冗長性。相手に確実に伝わるよう、感情や意図を補強してる」
「スタンプもそうかな」由紀が言った。
「視覚的な冗長性。言葉だけより、誤解が減る」
三人は笑った。
「ノイズに負けない会話、意識してみよう」陸が言った。
「でも過剰にならないように」葵が注意した。
「バランスが大事ってことですね」
窓の外で、雨が降り始めた。ノイズの多い世界で、人は冗長性という武器を使う。それが、伝わるための知恵だ。