「これ、本当に悲しいのかな」
空がぼんやり呟いた。カフェで、ミラとレオが向かいに座っていた。
「どういうこと?」レオが聞き返した。
「映画を見て泣いたんです。でも、本当に悲しかったのか、それとも感動したのか、よく分からなくて」
ミラがノートに書いた。「感情は曖昧」
「そう、まさに」空が共感した。「感情に名前をつけるのが難しい」
レオが興味を示した。「アレキシサイミアという概念がある。感情を認識したり表現したりするのが苦手な特性だ」
「アレキシサイミア...」空が繰り返した。
「ギリシャ語で『感情を言葉にできない』という意味。誰にでも程度の差はあるが、ある人たちにとっては顕著な特徴になる」
空が考えた。「私もそうかもしれません。自分が何を感じているのか、確信が持てない」
ミラが頷いた。そして書いた。「私も」
レオが説明を続けた。「感情の認識には、いくつかのステップがある。まず、身体の変化を感じる」
「身体の変化?」
「心拍数、呼吸、筋肉の緊張、胃の感覚。これらを内受容感覚という」
空が思い出した。「映画を見た時、胸が締め付けられる感じがありました」
「それが身体的な反応。次に、その反応に感情のラベルを付ける」
「胸の締め付け=悲しみ、という風に」
「そう。でも、ここで問題が起きることがある」レオが続けた。「同じ身体反応が、複数の感情に対応することもある」
ミラが図を描いた。一つの円から、複数の矢印が伸びている。
「心拍数の上昇は、怒り、恐怖、興奮、どれでも起こり得る」空が理解した。
「正確。だから、文脈や思考も合わせて判断する必要がある」
空が聞いた。「でも、それでも分からない時は?」
レオが答えた。「それは普通のこと。感情は、白黒はっきりしたものじゃない」
ミラが書いた。「グラデーション」
「良い表現だ。感情は連続的で、混ざり合っている」
空が少し安心した。「じゃあ、はっきり分からなくてもいいんですか?」
「むしろ、曖昧さを受け入れることが成熟の証かもしれない」
ミラが新しいページに書いた。「なぜ感情を信じられない?」
レオが考えた。「いくつか理由がある。一つは、過去に感情を否定された経験」
「否定?」空が聞く。
「『そんなことで怒るな』『泣くな』『感じすぎだ』。そう言われ続けると、自分の感情が信じられなくなる」
空が思い当たった。「子供の頃、よく『気にしすぎ』って言われました」
「それが積み重なると、感情に対する不信感が生まれる」
ミラが頷いた。共感している様子だった。
「もう一つは」レオが続けた。「感情が変わりやすいこと。昨日好きだったものが、今日は嫌いになる」
「一貫性がない」空が言った。
「人間の感情は、本質的に流動的だ。でも、それを受け入れるのは難しい」
空が聞いた。「どうすれば、自分の感情を信じられるようになりますか?」
レオが答えた。「まず、感情に正解を求めない。感じたものが、その時の真実だ」
「でも、間違ってるかもしれない」
「感情に間違いはない。行動には適切・不適切があるが、感じること自体は価値中立的だ」
ミラが書いた。「感じることを許す」
「そう。『こう感じるべき』ではなく、『こう感じている』を受け入れる」
空がノートに書き始めた。「今、私は複雑な感情を抱いている。それでいい」
レオが微笑んだ。「良い実践だ」
ミラが空の手にそっと触れた。そして書いた。「あなたの感情は本物」
空が目を潤ませた。「ありがとう」
レオが言った。「感情を言語化する練習も有効だ。日記をつける、誰かに話す」
「言葉にすることで、明確になる?」
「必ずしも明確にはならないが、向き合うことができる」
空が決心した。「日記、始めてみます」
ミラも頷いた。そして書いた。「一緒に」
レオが言った。「感情の不確実性は、人間の豊かさでもある。機械のように明確でないからこそ、深い」
空が微笑んだ。「曖昧さを楽しむ、ですね」
「その通り」
三人はカフェを出た。自分の気持ちが信じられない日もある。でも、それを受け入れることから始まる。感情に正解はない。ただ、そこにある。それを認めることが、自己理解の第一歩だった。