「この二つの分子、ほとんど同じに見えるんですが…」
瀬名が二つの構造式を並べて見せた。
「でも活性は?」朗が尋ねた。
「一方はIC50が10 nM、もう一方は1 μM。100倍も違います」
ミハイルが静かに近づいた。「似て非なる、というやつだ」
「何が違うんでしょう?」
朗が構造を丁寧に見た。「ピリジンとベンゼン、ここが違う」
「でも、形はほとんど同じですよね?」
「形は似ている。でも性質が違う」ミハイルが説明する。「ピリジンには窒素がある。塩基性、水素結合受容性、双極子モーメント…全て異なる」
朗が続けた。「この窒素が、活性部位のどこかと重要な相互作用をしている」
「水素結合…ですか?」
「可能性が高い。タンパク質側にドナーがあれば、ピリジンの窒素がアクセプターとして働く」
ミハイルが構造を回転させた。「でも、ベンゼンではその相互作用ができない」
「だから活性が落ちる…」
朗がホワイトボードに描いた。「これをファーマコフォアという。薬効に必須の構造的特徴だ」
「ファーマコフォア?」
「水素結合ドナー、アクセプター、疎水性中心、芳香環…これらの3D配置が、活性を決める」
ミハイルが補足した。「同じファーマコフォアを持てば、全く違う骨格でも同じように効くことがある」
「骨格が違っても?」瀬名が驚いた。
「スキャフォールドホッピングという戦略だ」朗が説明する。「基本骨格を変えて、特許を回避したり、物性を改善したりできる」
ミハイルが例を示した。「これとこれ、骨格は全く違うが、活性は同等だ」
「本当だ…でも、ファーマコフォアは同じ位置にある」
「そう。タンパク質から見れば、どちらも同じように見える」
朗が別の概念を紹介した。「バイオアイソスターも重要だ」
「バイオアイソスター?」
「生物学的に等価な置換基。例えば、カルボン酸とテトラゾール」
ミハイルが構造を描いた。「形も大きさもpKaも似ている。だから、置き換えても活性が保たれることが多い」
「でも、完全に同じじゃない…」
「そこが面白い」朗が言った。「微妙に性質が違うから、代謝安定性や膜透過性が改善されることがある」
瀬名がメモを取る。「じゃあ、似ている部分と違う部分を見抜くのが大事なんですね」
「その通り」ミハイルが認めた。「何が本質で、何が付加的か。その見極めが、デザイナーの腕の見せ所だ」
朗が別のデータを見せた。「これは類似性検索の結果。Tanimoto係数で類似度を計算している」
「0.8以上は構造が似ている、とされる」
「でも、0.9でも活性が全く違うことがある」瀬名が指摘した。
「逆に、0.5くらいでも同じように効くこともある」ミハイルが付け加えた。
「数値だけじゃ分からない…」
「化学的直感が必要だ」朗が言った。「どの部分が相互作用に関わっているか、経験から学ぶ」
ミハイルが真剣な表情で言った。「でも、見落としもある。思い込みで判断すると、重要な構造を無視してしまう」
「じゃあ、どうすれば?」
「データを丁寧に見る」朗が答えた。「少しずつ構造を変えたシリーズを作って、どこが効くかを特定する」
「SARの基本だ」ミハイルが続ける。「一つずつ変えて、それぞれの寄与を測る」
瀬名が考え込んだ。「地道な作業ですね」
「でも、それが確実な方法だ」朗が微笑んだ。「派手な発見より、着実な積み重ねが大切」
ミハイルが別の画面を開いた。「これは機械学習で予測した類似性。構造だけじゃなく、活性パターンから学習している」
「構造が違っても、活性パターンが似ていれば、同じクラスに分類される」
「面白いアプローチですね」
「でも、やはり解釈が難しい」ミハイルが言った。「ブラックボックスになりがちだ」
朗が総括した。「似て非なるを見抜くには、構造、物性、活性、全てを総合的に見る必要がある」
「一つの側面だけじゃ、本質は見えない…」
「そう。多角的な視点を持つこと。それが、良いデザイナーの条件だ」
窓の外で、夕日が沈みかけている。似ているようで違う。違うようで似ている。その境界を見極める目が、今日も養われていった。
「次は、3Dファーマコフォアモデリングをやってみよう」朗が提案した。
「立体構造で考えるんですね」
「そう。平面構造では見えない特徴が、3Dでは見えてくる」
瀬名は期待に胸を膨らませた。似て非なるの世界は、まだまだ奥が深そうだった。