「陸、さっきの説明、長すぎない?」
由紀が呆れた顔で言った。
「え、丁寧に説明したつもりなんだけど」
葵が口を挟んだ。「圧縮できそうだね」
「圧縮?」陸が聞き返した。
「同じことを何度も言ってた。冗長性が高い」
由紀が笑った。「確かに。三回は『つまり』って言ってた」
「データ圧縮の基本は、冗長性の除去だ」葵が説明し始めた。
「冗長性?」
「必要以上に繰り返される情報。統計的に予測可能な部分」
陸が考えた。「じゃあ、俺の説明は圧縮できる?」
「できる。本質的な情報だけ抽出すれば、半分以下になる」
「それって、情報が失われない?」
「可逆圧縮なら失われない」葵がノートに書いた。
「可逆?」
「元のデータを完全に復元できる圧縮。対して、不可逆は近似的な復元」
由紀が興味を持った。「例えば?」
「ZIPファイルは可逆。JPEG画像は不可逆」
「ああ、JPEGは画質が少し落ちる」陸が理解した。
「その代わり、ファイルサイズが小さくなる」
葵が続けた。「圧縮率は、元のサイズに対する圧縮後のサイズの比率」
「高い方がいいんですか?」
「状況による。通信では高圧縮が好まれる。でも、処理時間が増える」
陸が考え込んだ。「会話も同じ?簡潔に話せば効率的だけど、誤解されやすい?」
「その通り。圧縮しすぎると、文脈が失われる」
由紀が例を出した。「『明日』だけ言われても、何のことか分からない」
「でも、『明日の午後3時に図書館で会おう』なら明確」
「冗長だけど、確実」葵が頷いた。
陸が真剣に聞いた。「じゃあ、最適な圧縮率って?」
「エントロピーが下限だ。シャノンが証明した」
「エントロピー?」
「情報源の平均情報量。これより圧縮すると、情報が失われる」
由紀がノートに書いた。「つまり、冗長性を除去するのが圧縮で、その限界がエントロピー?」
「完璧な理解だ」
陸が笑った。「じゃあ、俺の話はエントロピーより全然大きい?」
「かなり冗長だね。でも、それが君らしさでもある」
「らしさは圧縮できないのか」
葵が微笑んだ。「個性は、情報理論の外にあるかもしれない」
由紀が考えた。「でも、適度な圧縮は大切ですよね」
「そう。聞き手の負担を減らす」
陸が提案した。「じゃあ、今から圧縮の練習しようぜ」
「どうやって?」
「一つの概念を、一文で説明する」
葵が乗った。「面白い。じゃあ、『エントロピー』を一文で」
由紀が考えた。「不確実性の平均的な大きさ?」
「良い。では、『相互情報量』は?」陸が挑戦した。
「二つの変数が共有する情報の量」陸が答えた。
「完璧」葵が認めた。
「圧縮できた!」陸が喜んだ。
由紀が別の概念を試した。「『通信路容量』は?」
葵が答えた。「ノイズのある通信路で信頼できる情報伝送の最大速度」
「それ、一文より長かったぞ」陸が指摘した。
「圧縮に抵抗する概念もある」葵が笑って認めた。
「陸みたいに」由紀が陸を見ながら言った。
「おい!」陸が抗議した。「俺、簡潔になる努力してるんだぞ」
「証拠は示されていない」葵が冷静に言った。
三人は一緒に笑った。
由紀が笑った。「でも、詳しい説明も時には必要ですよ」
「そうだね。圧縮と展開、両方使いこなすのが大切」
陸が少し考えた。「呼吸みたいだな。息を吐くときは圧縮、吸うときは展開」
「詩的な比喩だ」葵が認めた。「でも意外と正確。コミュニケーションにもリズムがある」
「タイミングが大切ですね」由紀が付け加えた。「簡潔にするときと、詳しく説明するときを見極める」
葵がまとめた。「状況に応じて、情報密度を調整する。それが効果的なコミュニケーションだ」
「バランスですね」由紀が頷いた。
「常にバランスだ」
三人は笑った。圧縮は技術だが、いつ使うかは芸術だ。
「そう言えば」陸が考え深げに言った。「昔は簡潔にするって、何かを省くことだと思ってた。でも実際は、大切なものだけ残すことなんだな」
「その通り」葵が確認した。「圧縮は削除じゃない。より効率的な表現への変換だ」
「詩みたいに」由紀が提案した。「少ない言葉で、深い意味」
「良い比喩だ。詩人は意味の圧縮の達人だね」
午後の日差しが窓から差し込み、部室の床に長い影を落としていた。