「今日、カレーにするかラーメンにするか、めっちゃ迷った」
晴が笑った。昼休み、三人で弁当を食べている。
「最終的には?」ノアが聞いた。
「カレー。でも、本当に自分で選んだのかな」
蓮が興味を示した。「どういう意味?」
「だって、無意識にカレー好きになってたのかも。遺伝子とか、育った環境とか」
「自由意志の問題だ」蓮が真剣になった。「哲学の最大の難問の一つ」
ノアが補足した。「私たちの選択は本当に自由なのか、それとも何かに決定されているのか」
「決定されてる?」晴が驚いた。
「決定論という考え方がある」蓮が説明した。「全ての出来事は、過去の原因によって決まっている」
「じゃあ、私がカレーを選んだのも?」
「決定論者なら、そう言う。過去の全ての経験が、カレーを選ばせた」
晴が戸惑った。「でも、私は自分で選んだ気がする」
「それが『自由意志の幻想』だとする見方もある」
ノアが優しく言った。「でも、全ての哲学者が決定論を支持するわけじゃない」
「他にどんな考えが?」
「サルトルは『人間は自由の刑に処されている』と言った」
「自由の刑?」
蓮が解説する。「人間は、選択せざるを得ない。逃げられない自由だ」
「重い...」晴がつぶやいた。
「実存主義では、人間には本質がない。だから、自分で自分を作る」
「でも」晴が反論した。「生まれた国、親、遺伝子。選んでないよね?」
「鋭い」ノアが頷いた。「それが『被投性』。投げ込まれた状況は選べない」
「じゃあ、自由じゃない?」
「状況は選べない。でも、状況への対処は選べる」蓮が言った。
「対処?」
「ハイデガーの考えだ。投げ込まれた世界で、どう生きるかは自分次第」
晴が整理した。「状況は与えられる。でも、反応は選べる」
「ヴィクトール・フランクルも似たことを言った」ノアが続ける。「強制収容所でも、態度を選ぶ自由はあった」
「極限状態でも?」
「『人間から全てを奪えても、最後の自由、状況に対する態度を選ぶ自由だけは奪えない』」
晴が感動した。「じゃあ、自由はある」
「でも」蓮が慎重に言った。「神経科学は別の見方を示す」
「どんな?」
「リベットの実験。脳は、意識が選択する前に活動を始めている」
「意識より先?」
「そう。つまり、私たちが『選んだ』と思う瞬間、脳はすでに決めている」
晴が混乱した。「じゃあ、やっぱり幻想?」
ノアが仲裁した。「解釈は分かれる。脳の活動も『私』の一部だという見方もある」
「どういうこと?」
「意識だけが『私』じゃない。無意識も含めて『私』。だから、脳が先に決めても、それは私の選択だ」
蓮が補足する。「自我の範囲をどう定義するかの問題だ」
晴が考えた。「難しすぎる...」
「では、実用的な視点を」ノアが提案した。「自由意志があるかどうかより、どう生きるか」
「どう生きる?」
「カントは言った。『あたかも自由であるかのように行動せよ』」
「あたかも?」
「確証はない。でも、自由を信じて生きる方が、意味がある」
蓮が続けた。「責任の問題だ。自由がなければ、責任もない」
「でも、責任を持つと?」
「人生に意味が生まれる」ノアが微笑んだ。「選択に重みが出る」
晴が深呼吸した。「じゃあ、自由があると信じる」
「良い選択だ」蓮が認めた。「それ自体が、自由意志の行使かもしれない」
「自己言及的?」
「そう。自由を信じる選択が、自由を証明する」
晴が笑った。「哲学って、ぐるぐる回るね」
「それが魅力だ」
ノアが静かに言った。「完全な答えはない。でも、問い続けることに価値がある」
「私、明日もカレーかラーメンか迷うと思う」
二人が笑った。
「その迷いが、人間らしさだ」蓮が言った。
「選択の自由も、迷いの自由も」ノアが付け加えた。
晴が空を見上げた。自由かどうか、まだ分からない。
でも、自由だと信じて生きる。それが、今の私の選択。
この選択も、決まっていたのかもしれない。
それでも、私が選んだと言いたい。