「葵先輩、いますか?」
由紀が部室を探している。
陸が答えた。「多分、図書館」
「多分?」
「いつも午後三時は図書館にいるから」
由紀が興味を持った。「それ、どうやって知ったの?」
「観察だよ。ベイズ推定って奴?」
葵が部室に戻ってきた。「呼んだ?」
「陸が、先輩の居場所をベイズ推定したって」由紀が説明した。
「面白い」葵が笑った。「正しい応用だ」
「ベイズ推定って何ですか?」由紀が聞く。
葵はホワイトボードに式を書いた。
「P(H|E) = P(E|H)P(H) / P(E)」
「事後確率は、尤度と事前確率の積に比例する」
陸が説明した。「俺の場合、『葵先輩がいつも図書館にいる』という事前知識があった」
「そして『今は午後三時』という証拠を得た」
「だから『今、図書館にいる』という事後確率が高い」
由紀が理解した。「情報を集めて、確率を更新するんですね」
「まさに。ベイズ推定の本質は、情報の蓄積だ」
葵が図を描いた。
「事前確率:知識がない状態 証拠を観察:新しい情報 事後確率:更新された信念」
「このサイクルを繰り返す」
由紀がノートに書く。「でも、事前確率が間違っていたら?」
「良い質問だ」葵が認めた。「事前確率が大きくずれていると、収束が遅くなる」
「でも、十分な証拠があれば、最終的には正しい値に近づく」
陸が例を出した。「俺が『葵先輩は宇宙人』って信じてたとしても?」
「証拠を集めれば、その仮説は棄却される」葵が笑った。
「情報の力ですね」由紀が言った。
「そう。不完全な知識から始めても、観察で改善できる」
葵は別の例を出した。
「朝、雨が降っている。今日は傘が必要?」
「事前確率:過去の天気パターン 証拠:現在の雨、雲の様子 事後確率:一日中雨が続く確率」
由紀が理解した。「情報を集めるほど、予測が良くなる」
「そう。情報理論とベイズ推定は、深く関係している」
陸が考えた。「人間関係もベイズ推定?」
「興味深い観点だ」葵が頷いた。「初対面では、事前確率が曖昧。会話で証拠を集め、相手の性格を推定する」
「だから、時間をかけて理解が深まるんだ」由紀が納得した。
「誤解も、不十分な証拠に基づく推定だ」
葵が窓の外を見た。「完全な確実性は得られない。でも、情報を集めることで、不確実性は減らせる」
由紀が質問した。「どこまで情報を集めればいい?」
「トレードオフだ。情報収集にはコストがかかる」
陸が付け加えた。「時間、労力、リスク」
「だから、適切な閾値を設定する。十分に確信できたら、行動する」
由紀がノートを閉じた。「ベイズ推定、日常でも使えますね」
「無意識に使っている」葵が答えた。「人間の脳は、自然なベイズ推定器だ」
陸が笑った。「俺の脳、推定精度低いけど」
「練習で改善できる。観察力を磨き、事前知識を増やす」
由紀が静かに言った。「情報を手繰り寄せる作業、楽しいですね」
「謎を解く快感だ。不確実性を減らす満足感」
「それが、学びの本質かもしれない」葵が微笑んだ。
三人は静かに教室を出た。不完全な情報から始めても、観察と推論で真実に近づける。
情報を手繰り寄せる午後は、まだ続く。