「また間違えた!」
海斗が試験用紙を握りつぶした。部室に苛立ちが漂う。
空がそっと近づいた。「どうしたんですか?」
「計算ミス。こんな簡単なところで」海斗が自分を責める。
レオが冷静に観察していた。「完璧を求めすぎていないか?」
「当たり前だろ。間違いなんてあってはならない」
空が海斗の試験用紙を見た。95点と書いてある。
「95点って、すごく良い点数では?」
「5点も落としてる。完璧じゃない」
レオがノートを開いた。「完璧主義について、心理学では興味深い研究がある」
「完璧主義?」空が聞き返した。
「完璧であろうとする心理傾向。一見良いことのようだが、実は心の健康を害することが多い」
海斗が反論する。「高い基準を持つことの何が悪い?」
「問題は、達成不可能な基準を設定し、それに届かない自分を責め続けることだ」レオが説明した。
空が理解した。「95点でも満足できないのは、100点以外認めないから?」
「そう。心理学では、これを『全か無かの思考』という。認知の歪みの一つだ」
海斗が黙り込んだ。
レオが続けた。「完璧主義には二つのタイプがある。自分に向けられた完璧主義と、他者に向けられた完璧主義」
「違いは?」空が聞く。
「自分に向けられた完璧主義は、自己批判を生む。他者に向けられた完璧主義は、対人関係を壊す」
海斗が呟いた。「両方当てはまる気がする」
空が優しく言った。「でも、完璧じゃなくても、価値はありますよね」
「価値?」
「95点取れたこと。努力したこと。成長したこと。全部、価値があると思います」
レオが補足した。「心理学では『自己価値の随伴性』という概念がある。自己価値を何に基づかせるか、という問題だ」
「成績だけに自己価値を置くと、成績が悪い時、自分全体が無価値に感じる」
海斗が窓の外を見た。「じゃあ、どうすればいい?」
「不完全さを認めること」レオが静かに答えた。「人間は本質的に不完全だ。それが出発点になる」
空が頷いた。「完璧じゃないことを認めるのは、弱さじゃない。現実を見る強さです」
「現実を見る強さ...」海斗が繰り返した。
レオが自分の経験を語った。「僕も以前、完璧主義だった。母国で常にトップでなければならないと思っていた」
「それで?」
「疲れ果てた。そして気づいたんだ。完璧さを追求することで、本当に大切なものを見失っていたと」
空が聞いた。「本当に大切なものって?」
「学ぶ喜び。成長する過程。仲間との時間。完璧さにこだわると、これらが見えなくなる」
海斗が試験用紙をもう一度見た。「95点...悪くない、のかな」
「悪くない。むしろ素晴らしい」空が言った。
レオが微笑んだ。「自己受容とは、ありのままの自分を認めること。長所も短所も含めて」
「不完全な自分を認めるのは、自己肯定感を下げるんじゃない?」海斗が聞く。
「逆だ」レオが答えた。「無理な完璧さを求めることの方が、自己肯定感を下げる。なぜなら、決して達成できないから」
空が付け加えた。「不完全さを認めた上で、少しずつ成長する。その方が健康的ですよね」
海斗がゆっくり頷いた。「弱い自分と仲良くなる、ってそういうこと?」
「まさに」レオが認めた。「弱さを否定するのではなく、受け入れる。そこから本当の成長が始まる」
空がノートに書いた。「完璧主義からの解放は、自分への優しさ」
「自己思いやり」レオが用語を補った。「Self-compassion。最近注目されている概念だ」
海斗が深呼吸した。「完璧じゃなくてもいい...か」
「完璧である必要はない。でも、最善を尽くす価値はある」レオが言った。
空が微笑んだ。「そのバランスが大切なんですね」
海斗が試験用紙を丁寧に鞄にしまった。95点を、初めて肯定的に見られた気がした。
「ありがとう」海斗が静かに言った。「少し、楽になった」
レオが頷いた。「不完全な自分を認める勇気。それが、弱い自分と仲良くなる第一歩だ」
三人は静かに座っていた。窓から差し込む光が、優しく部室を照らしていた。